古文で和楽(J-POP)

古語訳した歌詞と日々の思いを綴るブログ

我らはいきものなれば/【緑黄色社会「僕らはいきものだから」】

我らはいきものなれば

我らはいきものなれば

丈立ち伸び せむかたなく腹ぞ減る

かくてありなむ かくてありなむ

ただすがらに思ひたりき

昨日と同じ今日なるとも

守りたりき 尊きおもかげを

かくてありなむ かくてありなむ

今に手を振りはせじ

 

やうやう友にも 羽し生えゆきて

置いていくまじと 思ふなどししかど

飛び立つ刹那 煌めきたりし

かの羽を追はなむ 追はなむ 飛ばなむ

 

我らはいきものなれば

移りゆく 心も我が身も

我らに待ち受けたる

有りし事のすべてが宝なり

さらばなるともうち返す

移りゆく我らこそ美しけれ

 

見たりし全てが初立ちなりて

折にては恋など知りながら

うまからむものは食ひぬべし

苦くとも消えぬ 僻目ならぬ我が来し道ぞかし

 

飛び立ちぬ先にてことごと得るもの

いつしか語らはむ 話さむ とりかへむ

移ろふは失ふにあらず

別れは常のことにはあらず

手を振らむ 生けらるならで生くべし

 

我らはいきものなれば

降りまさる涙もありなむ

されど それもいつしか晴れ渡りなむ

それ 然り我らは

我らはいきものなれば

移りゆかむ 心も我が身も

さらばなるともうち返す

移りゆく我らこそ美しけれ

息をする我らこそあはれなれ

 

*「いきもの」ー直訳は「生類」などとするべきであるが、今回は表現上の解釈を重視し改めない。

*「已然形+ば」ー「ば」の用法。已然形に接続すると、「~たところ」「~ので」「~て」の順接確定条件の用法となる。なお、「未然形+ば」の場合は、「もし~ならば」の順接仮定条件となる。

*「連用形+ぬべし」「連用形+なむ」ー確述の助動詞。強意「ぬ」+推量・意志の助動詞で、「きっと〇〇はずだ」「きっと〇〇してしまおう」の意味。

*「生く」ー活用の仕方で意味が異なる。カ行四段活用なら自動詞「生きる」、カ行上二段活用なら他動詞「生かす」の意味になるので注意。

*「あはれなり」ー「じみじみと趣深い」などの訳があるが、本詞では「愛しい」の意味で用いる。なお古語にも原文と同様「いとほし」があるが、古語では「かわいそうだ」「可愛らしい」など、現代の意味とは若干のズレがある。

 

「古典で和楽」第四回は緑黄色社会さんより「僕らはいきものだから」を使わせて頂きました。

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 明けましておめでとうございます。週に一回更新しようと思っていたら、なかなか時間が取れず、気が付けば2024年が終わっていました。今年も頑張っていきましょう!

 皆さんは「紅白歌合戦」はご覧になりましたか?2024年を代表する曲のオンパレードの中で、往年のスターの楽曲も選ばれていて圧巻でしたね!!まさか令和の紅白で「ultra soul」を聴けるとは思いませんでした…。

 今回の題材は、そんな紅白歌合戦で緑黄色社会さんが歌われた「僕らはいきものだから」。Nコン2024中学校の部の課題曲になったそうで、紅白では金賞を受賞した岩手県の合同出場校の生徒さんたちのコーラスをバックに歌われていましたね。

 皆さんの歌の素晴らしさもさることながら、歌詞も子供たちが大人になっていく中で、少しずつ変わっていく周囲や自分自身への戸惑いを描き、その変化を優しく認め、包み込むようなものとなっていて本当に胸を打たれました。

 

 さて、今回も訳出では色々考えることが多くありましたが…一番悩んだのは「いきもの」と「変わる」でしょうか。

 まず、「いきもの」については脚注でも触れている通り、本来は「生類(しょうるい)」などと訳すのが正しく、古語における「いきもの」の使用例については、私の調べた限りは確認できませんでした。しかし、この楽曲における「いきもの」は辞書的な「生命体」という意味を超えて、「一人一人の人生を歩むもの」のような観念的な意味を持つ単語のように思えて、あえて訳を付けませんでした。

 また、「変わる」についてですが、こっちは「変はる」という単語が古語に有りましたが、悩みに悩んで「移る」「移ろふ」を使いました。「変はる」は単純にAがBになる、という変化の始めと終わりを指すイメージがありました。しかし、「移る」は「時と共に変化する」というグラデーションのような変化の過程に目を向けており、こちらの方が楽曲の意味合いにふさわしいと考え、こちらを採りました。

 

 私はこの記事の初めに、「子供たちが大人になっていく中」と書きましたが、大人になったとて私たちはきっと変わり続けるのでしょう。その度に悩んだり、落ち込んだりもするのだと思いますが、それも楽しく受け入れながら生きていけたらいいですね。

だって人生が続く限り、私たちは「いきもの」なのですから。

 

というわけで久しぶりの第四回、いかがだったでしょうか。 

では今回はここまで。また次回!

 

ただ君に晴れ /【ヨルシカ「ただ君に晴れ」】

ただ君に晴れ

小夜(さよ)に浮かびたりし 海月(くらげ)のごとき月の爆ぜき

乗合(のりあひ)の背を覗けば かの夏の影のみぞ漂ふ

ばかり

 

鳥居 乾きし雲 夏の薫りの頬を撫づ

大人びたるまでいざ背伸びせるままに

遊び困(こう)ざば 乗合裏に空など見む

やがて夏暮るるとも定めてなどか忘るるまじ

 

えしかぬままに大人びたりて

君の懐に夜ぞ咲く

言(こと)にえい出さずは 我は一人なり

さもあらば はや思ひ絶えたる

ばかり

 

夏日 乾きし雲 山桜桃海(ゆすらうめ) 錆びにし標(しるべ)

憶えの中は常に夏の薫りぞする

影など紙の端(は)なり

形見など所詮芥(あくた)なり

それを知らざるゆゑ ただ黙(もだ)するまま

絶えず君のいこふ 憶えに夏野の石一つ

 

俯きしまま大人びたりて

えしかずただ君に晴れ

言にえせぬまま坂を上りし

我らの影に夜ぞ咲きゆく

 

俯きしまま大人びたりて

君が思ふまま手をたたけ

陽の落つる坂道を上りて

我らの影は やや

 

えしかぬままに大人びたりて

君の懐に夜ぞ咲く

言にえせざるとも我ら一つなり

さてありぬべし、はや

君が形見を胸に抱きたる

ばかり

 

*「え〜打消(反語)」ー不可能表現。「え〜打消(反語)」が間に動詞を挟んで、不可能の表現になる。「○○出来ない。」の意味の呼応の副詞。ここでは「追いつけない」「口に出せない」などの訳。

*「などか(〜打消)」ー疑問・反語表現。多くは下に打消の語を伴う。「どうして〜ないのか」の意味。ここでは「きっとどうして忘れようか、いや忘れない。」の訳。

*「ぞ~連体形」ー強意の係助詞。強意文になるが訳は平叙文で書いてよい。文末が連体形となる『係り結び』に注意。ここでは「影だけが漂う」「夜が咲く」の強意の訳。

*「~ぬべし」ー確述の助動詞。強意「ぬ」+推量「べし」で「きっと〇〇はずだ」の意味。ここでは「きっとそうであるはずだ」の訳。

「古典で和楽」第三回はヨルシカさんより「ただ君に晴れ」を使わせて頂きました。

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 数年前、ヨルシカさんが好きなお友達に「絶対聞いて!」とおすすめされたのが「老人と海」と「ただ君に晴れ」でした。もう久しく連絡を取っていませんが、元気でいてくれるといいな。

 この曲、さわやかなメロディと歌詞もさながら、MVもいいんですよね。撮影場所となった駅は、富山県高岡市の「雨晴駅(あまはらしえき)」というそうですね。源義経が北陸から奥州へ逃げる途中、にわか雨が晴れるのを待ったのが地名の由来とのことですが…お洒落過ぎません?四字熟語にも「雨過天晴」なんてありますが、青空は雨が降った後にこそ映え渡るものです。MVでも「雨晴」の名に違わぬ鮮やかな晴天が、幾度となく背景に広がります。そしてラスサビの映像に挿入される詩も最高です。

 

これから先の人生、

躓くことなんて当たり前だ。

それでも、ただ君に、

晴れぬ日などないことを。

ただ君に晴れ/ヨルシカ

 

 さて、普段私は訳出する際、文化的に訳せないものは基本的に平安時代の文化に則して意訳しています。例えば、今回は「写真」を「絵」の意味を持つ「影」と訳したり。しかし、ここでは敢えて変わらなかった訳についてお話したいと思います。

 

・「山桜桃梅(ゆすらうめ)」

 古くから日本にある植物ですが、平安時代にあったという記述は見つけられません。しかし、この歌の中ではどうやら「山桜桃梅」自体に意味がありそうです。花言葉を見てみると「輝き」「郷愁」「ノスタルジー」。「輝き」も「郷愁」も記憶の中で輝く、もしくはこれからどこかで輝こうとする「君」に向けた詩にふさわしい花言葉です。なので、これに変わる言葉はないと判断し、原文のままとしました。

 

・「夏野の石一つ」

 これは出典があるものですから訳出はしませんでした。出典は正岡子規の俳句「絶えず人 憩う夏野の 石一つ」から。「夏野に一つ、行き交う人々が代わる代わる憩う石がある」の意味ですね。これが「君が憩う記憶に」と翻案されており、記憶の中で何度も何度も「君」を思い起こす様子と、「夏」という言葉が歌詞の中でリンクして、よりノスタルジックな雰囲気を醸し出しています。

 

・「君に晴れ」

 日本には古来、日常を「ケの日」、特別な日を「ハレの日」と呼ぶ文化があります。「晴れ舞台」なんて言ったりもしますが、「晴れ」という言葉は、天気を指す他に、「記念」や「祝福」といった意味を持っている言葉なんです。そう考えると「晴れ」という言葉は、夏の抜けるような晴天のイメージと、「君」の未来を祝福する歌詞を繋ぐ重要なキーワードなのではないか、と私は勝手に思っています。言葉が本来持つ二つの意味同士が、詩の中できれいに溶けて混ざり合っている箇所ということですね。

 何気なく使っている膨大な日本語の一つ一つが、このように数千年の歴史を経て色々な意味を重ねて生まれたり消えたりしながら現代まで繋がっているんですから、言葉って本当に奥深く美しいですね。

 

 そんなところで第三回はヨルシカさんの「ただ君に晴れ」でした。楽しんでいただけましたでしょうか?では今回はここまで。また次回!

ゆめ負くまじ /【ZRAD「負けないで」】

ゆめ負くまじ

なでふことなき折 眼の差し合ふ

幸ひに鳴る胸 覚えたりぬべし

薄桃に染まりぬ 折節に焦がれつ

かの日がごとく 煌めきたる

そなたにあれや

ゆめ負くまじ ほとほとし

果てまでと 駆けゆくべし

いかほど 遠き雲居にても

心ぞ君とあらむ

いざ求めよ はるけき末を

 

何事かあるとも ことなしびたりて

いかにもならむと 戯りて笑まふや

"今夜はいざ我と共に踊らむ"

今も 然らむそなたを思ふ

我な忘れそ

ゆめ負くまじ それそこに

本意なむ近くあるべき

いかほど 遠き雲居にても

心ぞ君とあらむ

感じなむ 守りたる眼

 

ゆめ負くまじ ほとほとし

果てまでと 駆けゆくべし

いかほど 遠き雲居にても

心ぞ君とあらむ

いざ求めよ はるけき末を

 

 ゆめ負くまじ それそこに

本意なむ近くあるべき

いかほど 遠き雲居にても

心ぞ君とあらむ

感じなむ 守りたる眼

 

*「~ぬべし」ー確述の助動詞。強意「ぬ」+推量「べし」で「きっと〇〇はずだ」の意味。ここでは「きっと覚えているはずだ」の訳。

*「ぞ~連体形」「なむ〜連体形」ー強意の係助詞。強意文になるが訳は平叙文で書いてよい。文末が連体形となる『係り結び』に注意。

*「ゆめ〜禁止表現」ー「決して」を意味する「ゆめ」が、「禁止する対象」を挟んで文末に禁止表現を取り、強い禁止を表す。「決して○○するな」の意味の呼応の副詞。ここでは「決して負けてはいけない」の訳。

*「な〜そ」ー願望の禁止表現。「な〜そ」が「禁止する対象」を挟んで、弱い禁止を表す。「○○しないでください」の意味の呼応の副詞。ここでは「忘れないでほしい」の訳。

 

「古典で和楽」第二回はZRADの坂井泉水さんより「負けないで」を使わせて頂きました。

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 いつ聞いても名曲ですね。初めて聞いたのは小学生の時のお昼時にかかる放送でしたが、心にスッと入ってくるストレートな歌詞は、当時から何となく耳に残って口ずさんだりしたものでした。でも大人になって聞いてみたら、なんだこれ…刺さりすぎる…。あと坂井泉水さんすっごいきれい!!メロディも声も歌詞も本当にずっと心に残り続ける曲ですね。

 

 さて、今回の訳のポイントは二つ。「パステルカラーの季節」と「どんなに離れてても」です。

 まず「パステルカラーの季節」ですが、実はパステルカラーに近い色自体は当時から日本に存在していました。韓紅、きはだ、露草などと呼ばれるものがそれですね。ただ「パステルカラー」と言っても様々ですよね。では、この歌におけるパステルカラーとは何色なのか。恋の始まりの世界を染める色…これはズバリ淡い桃色でしょう!!ということで、私は「薄桃色」と訳しています。所説有るかもしれません笑

 そしてもう一つ。「どんなに離れてても」です。この直訳自体は「いかほど離れたるとも」で全く難しくないのですが、遥か彼方、手が届かないほど遠く、というニュアンスをどうしても入れたくて「雲居」という表現をしました。物理的な距離と精神的な距離の対比を、ストレートな言葉に込めた原文の力強さに「ゆめ負くまじ」、と…お後がよろしいようで。

 では今回はここまで。また次回!

ゑむ八七/【米津玄師「M八七」】

ゑむ八七    

遠き空の星がいたく輝きて見えしかば

我はわななきながら さが光を追ひたりき

欠けたる鏡の中 ありし日の我を偲びたり

強くなりにしがな ことごとくをふりさけたりき 

君は風に吹かれて 翔ける雲雀仰ぎて

長く短き旅をゆく 遠き日の面影

君が願はなば 其れは強くいらへを遣りぬべし

今はゆめゆめ恐るまじ 無常を知るただ一人にあれ

 

やがて枯るる花が 最後に我へと語りかけき

「姿見えなくとも 遥か末で 守りたる」と

然り君は胸ふたがれて やつれ移ろふ心根

物語の始まりは 微かな寂しさ

君の手が触れし 其れは引き合ふ孤独の力なば

誰がいかに奪ふるものぞ 求めあはむ命果つるまで

輝く星ぞ言う 木の葉の遠くより

君はただうちまもる 行く末を想いつつ

我らは進む 何も知らずに彼方の向こうへ

君が願はなば 其れは強くいらへを遣りぬべし

今はゆめゆめ恐るまじ 無常を知るただ一人にあれ

ただ笑まふべし かの星のように

無常を知る ただ一人にあれ

 

*「~にしがな」ー願望の終助詞。「〇〇したいものだ」の意味。ここでは「なりたい」と訳す。

*「~ぬべし」ー確述の助動詞。強意「ぬ」+推量「べし」で「きっと〇〇はずだ」の意味。ここでは「きっと返事を送るはずだ」の訳。

*「ゆめゆめ~まじ」ー「ゆめゆめ~禁止表現」で「決して〇〇してはいけない」の意味。ここでは「決して恐れてはいけない」の訳。

*「無常」ー仏教用語で「全てのものは必ず絶えず移り変わってゆく」という定めを説く言葉。

*「孤独の力」―谷川俊太郎氏の詩「20億光年の孤独」の引用と思われる。本来「孤独」は「独り居」などと翻訳すべきだが、原文固有の詞として改めないこととした。

 

 というわけで、「古文で和楽」第一回は米津玄師さんの「M八七」を使わせて頂きました。

youtu.be

 

 この翻訳においては随分意訳を施したように思います。米津さんの詩がとにかく本当に良いんです…!少年時代のヒーローへの純粋な憧れ、大人になった今でこそわかるヒーローの悲哀。それでも変わらない微笑をたたえて地球を救うウルトラマン。そういった、今時を重ねてきたからこそ見える「ウルトラマン」というヒーロー像を、すごく的確に繊細に描いていて、なんとかこの詩の情景を壊さずに古語に出来ないかと頭を捻りました。

 

 特に「翻る帽子」や「痛み」についてはかなり悩みました。単純な「冠」「烏帽子」は「少年時代に見上げた空」の背景には文化的に合いません。「冠」などは大人の装束です。また、これは貴族の文化であり平民にはそもそも縁のない話です。ウルトラマンは貴族とか平民とか関係なく、全ての子供のヒーローであってほしい。そこで、子供が高く昇ってゆく小鳥に目を奪われる様子をイメージして「雲雀」と改めました。

 また、「痛み」も本来「憂き目」などと訳すはずですが、ウルトラマンの感じる痛みはもっと外側に向かっている気がするんですよね。自分自身の体験する悲しみやつらさよりも、世の中の儚さ、どうしようもなさを表したくて「無常」を選んでいます。

 

 そして、一番困ったのがタイトル。本当に困りました。Mってどう扱えばいいんだ…そもそもウルトラマンの星は本来「M78星雲」であるはず…。そこで調べたところ、これは意図的に曲のタイトルにするときに変えたらしいですね。真意は定かではないですが、M87はゾフィーの必殺技の名前の一部です。ならばここは「ゑむ(笑む)87」とすれば、映画のゾフィーのイメージやウルトラマン自体のアルカイックスマイル、詩の「微かに笑えあの星のように」などと掛けられる!!と思い、「ゑむ八七」に決定しました。めでたしめでたし。

以上、今回はここまで。また次回!

古文でJ-POP!


古文で遊びたい!!!

「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山際少しあかりて紫立ちたる雲の細くたなびきたる」 

 いやぁ、和語って良いですよね。なんかこう、千年前の風景や人々の心が色鮮やかに目の前で展開されるような、現代語の表現とはまた違った魅力があります。秋も深まり、太陽が落ちて虫たちの声が響く中、「秋は夕暮れ」などと呟いてみれば、その瞬間私たちは言葉を通して、平安の世に生きた女流作家と心が繋がったような気になれます。

 

 色々なことが起こる人生です。お友達と語り合い、たまに争い、恋をすれば時には実り、時には破れ。思いがけない成功をすることもあれば、言葉にできないような憂き目にあうこともあるでしょう。そんなとき耳を澄ませば、はるか遠くから先人たちが好き好きにおしゃべりを始めます。励まされ、共感され、叱られたりけなされることもあります。

 

 そしてそんな彼らの一番良いところは、押し付けてこないことです。勝手にそこにいて、勝手に喋っているだけ。解釈なんかは私たちに委ねて、ただいるだけ。だけど確かに私たちと時を超えて繋がっている。そんな彼らとの橋渡しをするのが古典であり和語なのだと私は考えています。

 

 そんな大切なツールが現在「実用性」だとか「コスパ」だとかの時流に飲まれ、頭の良い大人達ですら大真面目な顔をして「古文不要論」を唱え、「専門的な職業しか使わない古典を子供に教える必要はない」、果ては「現代語訳で読めばいい」などと言う始末。

 

なぁーーーーんにもわかっていない!!!

 

 まあ、それに対する文句は他で述べるとして、そう思わせてしまう古典さんサイドも悪い。難しい?ハードルが高い?使わない?だったら!!!使ってやろうじゃないですか!!!和語の響きを、ちょっとでも「かっこいい」「美しい」と思い、あわよくばちょっと古典を身近に感じてもらおうじゃないですか!!!!

ということで、本ブログでは古文を使って遊んでみたいと思います。

題して、

古文で和楽(じぇいぽっぷ)

 

趣味で作った”じぇいぽっぷ“の古文訳を徒然なるままに書き置いていきます。どうぞよろしくお願いします。